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東京高等裁判所 平成3年(行ケ)154号 判決

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

平成二年一二月九日執行の茨城県議会議員一般選挙の東茨城郡南部選挙区における当選の効力に関する田山東湖の異議申出について、被告が平成三年五月二七日付けでした当選人柴沼弘道の当選を無効とする旨の決定を取り消す。

第二  事案の概要

一  (争いのない事実)

1  原告は、平成二年一二月九日執行の茨城県議会議員一般選挙東茨城郡南部選挙区(以下「本件選挙」という。)において立候補し、当選したものである。

2  本件選挙における立候補者及び選挙会において決定した各得票数並びに当選、落選の別は左記のとおりであった。

(1) 候補者 大高道夫

一万五八〇一票 当選

(2) 候補者 久保田正二郎

一万五五六六票 当選

(3) 候補者 柴沼弘道

一万四五四二票 当選

(原告)

(4) 候補者 田山東湖

一万四五三二票 落選

(参加人)

(5) 候補者 山西庸義

一万一五九二票 落選

3  参加人は、平成二年一二月一九日、被告に対し、本件選挙における当選の効力に関する異議の申出をしたところ、被告は、平成三年五月二七日、本件選挙における当選人柴沼弘道の当選を無効とする旨の決定(以下「本件決定」という。)をし、同年六月一三日その旨告示した。

4  本件決定における原告及び参加人の各得票数の増減状況とそれに伴う得票数の変動は、次のとおりである。

(1) 原告につき

ア 選挙会で有効投票としたもののうち無効投票と認めたもの

六一票

イ 選挙会で無効投票としたもののうち有効投票と認めたもの

六票

ウ 選挙会で他の候補者の有効投票中に混入させていた原告の有効投票

二票

エ 右アないしウの増減を行った後の得票数

一万四四八九票

(14,542票−61票+6票+2票=14,489票)

(2) 参加人につき

ア 選挙会で有効投票としたもののうち無効投票と認めたもの

三票

イ 選挙会で無効投票としたもののうち有効投票と認めたもの

一二票

ウ 選挙会で同候補者の有効投票中に混入させていた他の候補者の有効投票

二票

エ 右アないしウの増減を行った後の得票数

一万四五三九票

(14,532票−3票+12票−2票=14,539票)

5  本件決定の理由の要旨は次のとおりである。

(1) 本件決定中別記2記載の合計七六票(以下「本件1の投票」という。)は、「柴沼ひろし」、「しばぬまひろし」、「シバヌマヒロシ」あるいは「しば沼ひろし」と明瞭に判読することができ、しかもいずれも名の部分が「ひろし」又は「ヒロシ」と平仮名又は片仮名で表示されているところ、これらは著名人であった原告の亡父柴沼弘が本件選挙当時においても未だ生存し、本件選挙に立候補しているものと誤認して投票したものと推認されるとして、選挙会で無効投票とした三八票をそのまま維持するとともに、有効投票とした三八票を新たに無効と判定した。

(2) 本件決定中別記3記載の合計三九票(以下「本件2の投票」という。)は、「しばのまへろし」、「しばぬましろし」あるいは「しばぬひろし」のように、明瞭に「しばぬまひろし」と記載したものとはいえないが、これらはいずれも誤字、脱字であって、「しばぬまひろし」に対する投票と読み取れるとしたうえで、前記(1)の理由により候補者でない柴沼弘に対する投票であると推認されるとして、選挙会で無効投票とした二〇票をそのまま維持するとともに、有効投票とした一九票を新たに無効と判定した。

二  (争点)

本件の争点は、本件1、2の各投票が候補者である原告に対する有効投票と認定できるかどうかである。

1  原告の主張

(1) 本件1の投票について

原告の亡父柴沼弘は、本件選挙の約二年二か月前にすでに死亡しており、しかも、当時茨城県議会議長に在任中てあったため、右死亡の事実や葬儀の模様が大きく報道され、また、狭い選挙区で候補者と地元民との密着度は極めて強く、地元民は候補者やその一族の状態までよく知っていたものであり、また、本件選挙は、山村の六か町村という狭い選挙区でありながら、五名の候補者が三つの議席を争って熾烈な選挙戦を展開したものであり、特に亡父の地盤を引き継いだ原告と、県政界の重鎮であった亡父の地盤を侵食しようとする他派の候補者との間で、細かい票の取り合いが行なわれるなど熾烈を極めたものであった。右の事情に照らすと、原告の亡父が未だ生存し、立候補したものと誤認して投票したなどいうことは到底考えられず、更に原告の名「ひろみち」と亡父の名「ひろし」とは極めて強い類似性があることなどの点を合わせ考えると、名を「ひろし」又は「ヒロシ」と仮名で記載したこれらの投票は、いずれも原告を表示する意思で投票したことは明らかというべきである。

(2) 本件2の投票について

本件2の投票には、いずれも誤字、脱字等が認められるものの、同投票が明らかに「しばぬまひろし」と読み取れる投票であることは、本件決定の指摘するとおりであるが、前記(1)の事情等を総合すると、本件1の投票と同様いずれも原告に対する投票と認めるべきである。

(3) 右のとおり、本件1、2の各投票はいずれも原告に対する有効投票と認めるべきものであり、これらの得票数を加算すれば、原告の得票数は一万四六〇四票になり、参加人の前記得票数一万四五三九票を六五票上回るのであるから、被告のなした本件決定は違法であり、取消しを免れないというべきである。

2  被告及び参加人の主張

原告の亡父柴沼弘は、生涯を通じて概ね地元の美野里町に居住し、不動産関係の会社を経営するかたわら、約二〇年間にわたり茨城県議会議員として地方政治の発展に寄与してきたものであり、死亡当時は県議会議長という要職にあったことから、地元では相当著名な人物であったのに対し、原告は、本件選挙当時は、年令二九歳の青年であり、父弘の死亡後その跡を継いで政治活動等を本格的に開始するに至ったものの、いまだ地元における活動期間は短く、知名度も亡父に比べてはるかに低かったことにかんがみると、本件1、2の各投票はいずれも記載されているとおり亡父弘に対する投票であるとみるのが相当である。

第三  争点に対する判断

一  本件2の投票は、その記載内容自体からは直ちに何人に対する投票であるかをにわかに判定しがたい点もあるけれども、投票の効力決定にあたっては、単に投票の記載自体を形式的に判断して有効・無効を判定すれば足りるものではなく、法の規定に反しない限りにおいて、その投票した選挙人の意思が明白であれば、その投票を有効とするようにしなければならないと定めた公職選挙法六七条の趣旨等にかんがみると、仮に投票に記載された文字に誤字、脱字があるとか、一部明確さを欠く点があっても、直ちに無効投票とするのは相当ではなく、その記載された文字の全体的考察によって当該選挙人の意思がいかなる候補者に投票したかを判断すべきであるところ、本件2の投票はいずれも誤字、脱字等が認められるものの、「しばぬまひろし」に対する投票であると読み取ることができるので、以下、本件1の投票と同様に「しばぬまひろし」と記載された投票であることを前提に更にその効力について検討を進めることとする。

二  原告は、本件1、2の各投票は、いずれも原告に対する有効投票であると主張するが、本件選挙の立候補者である原告の氏名は「柴沼弘道」であり、本件1、2の各投票は、いずれも前記のとおり「しばぬまひろし」と読み取れる票であって、候補者である原告の氏名と類似しているとはいえ、候補者の氏名と合致していないことは明らかである。

そこで、次に、候補者の氏名とは完全には合致していないものの、特定の候補者の氏名に類似する記載の投票の効力について判断する。

ところで、候補者制度をとる現行の公職選挙法のもとにおいては、選挙人は候補者に投票する意思をもって投票を記載したと推定すべきであり、また、同法六七条後段及び同法六八条の二の各規定の趣旨に徴すれば、選挙人は真摯に選挙権を行使しようとする意思、すなわち適法有効な投票をしようとする意思で投票を記載したと推定すべきである。したがって、前記のとおり、投票に記載された文字に誤字、脱字があっても、直ちに無効投票とするのは相当でなく、その記載された文字の全体的考察によって当該選挙人の意思がいかなる候補者に投票したかを判断すべきであり、また、投票記載の氏名が正確には候補者の氏名を書いたものでなくとも、投票記載の氏名と類似の候補者が存在していて諸般の情況から当該候補者に投票する意思で書かれたものと認められる限りは、当該候補者のための有効投票と判断すべきものと解するのが相当である。なお、投票の記載が候補者の氏名の誤記と認められるほど近似していると同時に、それが候補者以外の現に実在し、あるいは過去に生存していた人物の氏名とも合致している場合においても、選挙当時その実在人等が当該選挙に立候補しているものと誤認・混同されるような客観的な情況が存在し、投票の記載が特に右実在人等を指向していたものと推認すべき特段の事情があればともかく、右の事情がない限りは、右投票は、その記載と類似する氏名を有する候補者に投票する意思で記載されたものと判断すべきである。

三  そこで、右の見地に立って、本件1、2の各投票が原告に対する有効投票といえるかどうかについて以下検討するに、証拠(〈書証番号略〉、証人岡野弘太郎、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。

1  (柴沼弘の身上及び政治活動歴等)

柴沼弘は、昭和四年三月一五日、茨城県東茨城郡美野里町において出生し、昭和三二年三月日本大学法学部を卒業後、地元において不動産業を目的とする柴沼産業株式会社を設立し、その後昭和五〇年同社の商号を太平建設工業株式会社に変更するとともに、建築土木等の分野にも事業を拡張し、農地区画整理事業に参加するなど住民の生活向上と会社の発展に寄与した。

また、柴沼弘は、昭和四二年一月茨城県議会議員に初当選して以来、死亡した昭和六三年まで約二〇年間にわたり、政治活動に従事してきたものであり、その間、原告が立候補した本件選挙区と同じ東茨城郡南部選挙区において、六回立候補して五回当選し、議員在職中は各種委員会の委員長を歴任するなど議会活動を通じて地域社会に貢献し、また、県議五期目にあたる昭和六三年七月七日には、県議会議長に就任するなど地方政治において多大の功績を挙げてきたものであり、議長在任中の同年一〇月二七日に死亡したこともあって、茨城県議会・美野里町合同葬儀が盛大に営まれ、また、当時同人の死亡や葬儀の模様等については、新聞やテレビ等マスコミにより広く報道された。

2  (原告の経歴等)

原告は、昭和三六年七月一八日柴沼弘の長男として美野里町で生まれ、日本大学理工学部卒業後、数年間代議士の秘書を勤めたのち地元に帰り、父死亡後の昭和六三年一二月に太平建設工業株式会社の代表取締役に就任する一方、柴沼弘の後継者として本格的に政治活動に取り組む決意を固め、柴沼弘後援会の組織をそのまま引き継いだ形で新たに柴沼弘道後援会を発足させるとともに、自らあるいは家族や親戚、後援会の役員等が手分けをして地元の美野里町の全戸及びそれ以外の町村の後援会員の自宅等を直接訪問したり、あるいは後援会新聞やパンフレット、時候の挨拶等を配布するなどして本件選挙に向けて本格的な活動を開始したものである。

3  本件選挙区には、常澄村、茨城町、小川町、美野里町、内原町及び大洗町の五町一村が属し、その合計有権者数は約九万名であった。

4  本件1、2の各投票を開票区毎に分別すると、本件1の投票は常澄村六票、茨城町一一票、小川町一四票、美野里町二四票、内原町七票及び大洗町一四票、また、本件2の投票は常澄村二票、茨城町一一票、小川町八票、美野里町一一票、内原町一票及び大洗町六票とそれぞれ各開票区に万遍なく分散している。

以上の各事実が認められる。

右認定の事実関係を前提にして本件1、2の各投票の有効性について検討するに、原告の亡父柴沼弘は、本件選挙区と同じ東茨城郡南部選挙区を地盤とし、茨城県議会議員として長年にわたり政治活動に携わってきたものであって、地元では社会的・政治的な知名度も極めて高く、相当著名な人物であったことは明らかであり、右の事情に照らすと、一般の選挙民のなかには、同人が本件選挙に立候補しているものと誤信するものも相当と思われる客観的な情況が一応存在していたものというべきである。

右の点に関し、原告は、本件選挙が熾烈を極めたものであり、原告の亡父が著名人であったこともあって、格段に発達した情報手段により同人の死亡した事実及びその子息である原告が後継者として立候補した事実は、あまねく選挙区の一般選挙民にも周知徹底されていたこと、投票者の投票行動における心理的傾向等をるる指摘し、本件選挙の二年以上も前に死亡した原告の亡父が死亡したことを知らず、又はこれを失念していまだ生存し、立候補したものと思い違いをして投票することはあり得ず、本件1、2の各投票はいずれも原告の氏名を誤記したものというべきであると主張する。

しかしながら、本件全証拠をもっても、本件選挙当時、本件選挙区の全有権者が原告の亡父の死亡していた事実を知っていたとまではにわかに断定し難く、平素から特に政治の動向に関心を有しているとか、あるいは特定の候補者の当選を目指して後援会活動等に従事したり選挙期間中選挙運動に関与するなどの事情があるのであればともかく、全くの無関心層とまではいえないとしても、日頃政治的活動には殆ど無縁の立場にあり、また政治の動向等にも余り関心を持たない一般の選挙民のなかには、選挙における投票に際し、過去において地元では比較的著名であった政治家等の氏名に類似した候補者が立候補している場合、右著名人がすでに死亡していることを知らず、あるいはこれを失念し、同人が立候補しているものと軽信して投票するという行動に出ることもままあり得ることであって特段不自然・不合理ともいえない。殊に当該候補者の社会的・政治的活動歴が浅く、いまだ右著名人に比べて知名度も低い場合においては、候補者の氏名などが類似しているからといって、明らかに著名人の氏名と合致している記載の投票を単に当該候補者の氏名を誤記したものとするのは相当でないというべく、本件1、2の各投票においては、候補者たる原告以外の原告の亡父を表示したものと推測すべきものが含まれているというべきである。そうすると、本件1、2の各投票のうちには、原告に対して投票する意思で誤って「しばぬまひろし」と記載した投票が混入していた可能性が全くないとはいえないにしても、原告の指摘する諸事情を充分考慮に入れても、いまだ本件1、2の各投票がいずれも原告である「柴沼弘道」の氏名の誤記によるもので、原告に対する投票であると断ずるのは相当でないというべきである。

四  以上種々検討してきたところによれば、結局、本件1、2の各投票が、本件選挙の候補者である原告の氏名を誤記したものにすぎないのか、あるいは候補者でない原告の亡父柴沼弘を指向したものなのか、そのいずれともにわかに認め難いものというべきであり、したがって、原告に対する有効投票とは認めることはできない。そうすると、本件1、2の各投票を原告に対する有効投票とは認めなかった本件決定に原告主張の違法はない。

第四  結論

よって、本件1、2の各投票が原告に対する有効投票であることを前提とする原告の本訴請求は、更にその余の点について判断するまでもなく理由がないというべきである。

(裁判長裁判官 時岡泰 裁判官 大谷正治 裁判官 板垣千里)

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